ログイン第六十二話 押し寄せる悲しみ
絢の死から一週間が経った頃、三原屋では「今までの事を見直しな! これは、お前たちの為でもあるんだ!」采は大部屋で妓女たちに話している。それは『禿を叩くな』ということである。玉芳の言葉も最初は聞き入れるが、つい感情的になって叩いてしまうことを注意していたのだ。しかし、妓女たちは言葉を聞き流しているようにも見える。それは (私もゲンコツを落としてきたからね~) 采も反省しているようだ。そして不思議と無傷だった禿がいる。 古峰である。古峰は采に叩かれたことがない。 ゲンコツすら回避してきた。「そういえば、どうして古峰だけ叩かれなかったんだろ第百三十一話 西天楼 明治十一年 二月。 世界では画期的な出来事があった。 エジソンが発明した蓄音機がニューヨークで世界最初の特許権を獲得し、 文明が一段と進歩したのである。 「よろしくお願いいたします……」 東郷が頭を下げると 「じゃ、頼んだよ。 先生……」 キセルを吹かせ、微笑んでいる女性がいる。 その女性は西天楼の遣り手の勢津だ。 西天楼は深川の大見世で、三原屋と同じく大見世の筆頭であった。 「これで吉原の客も深川に向くだろうね。 はっは…… 楽しみだね~」 勢津はキセルを吹かせながら笑っている。 「お婆…… どうして吉原が嫌いなの? わざわざ吉原で妓楼まで買収するなんて」 「おだまり…… これは深川の西天楼が日本一になる為にやっているんだ。 お前は看板娘としていればいいんだよ……」 勢津はニヤッと笑う。 話していたのは勢津の娘であり、看板娘として側近をしている古都である。 大部屋に行くと 「古都ちゃん…… 吉原に行っても警戒されているよ。 花菱楼だって摘発されたしさ……」 妓女たち数人が古都を囲む。 「すみません姐さん…… お婆が言うものですから……」 「そうだけんどさ…… 周りの見世も吉原にちょっかい掛けて花魁に叩かれたじゃないか…… それに、あの看板……」 妓女が説明すると、古都がキョトンとして 「あの看板……?」 「そうだよ……『無風流者は馬の糞である』とか書かれているんだよ。 もし、馬のふんでも投げられたら たまったものじゃないよ……」 吉原では梅乃の立てた看板を見て笑う者が出てきている。 吉原の秩序を乱す者には馬の糞でも投げてやろうと息を巻いている客や妓女が増えていっていた。 「そうですか…… どんな者が立てたか見てみたいですね……」 古都がニヤリと笑う。 その頃、吉原では梅乃が長屋の倉庫を改修していた。 「姐さん…… 下で騒がしなりますが気にしないでくださいね。 それと、窓を開けて換気しますから」 梅乃は病気で臥せっている妓女たちの診察をして窓を開ける。 「梅乃、すまないね……」 妓女が弱気になっていると 「何を言っているんですか。 また元気になって働きましょうね」 梅乃が微笑む。 (本当に、小さなお天道様だよ……) 倉庫から荷物を出して、埃だらけ
第 百三十話 ふりむいて 吉原 朝の六時、まだ空は暗かった。 「ま まだ二月ですもんね…… よく眠れましたか?」 東郷は三原屋に泊まっていた。 横でお世話をするのが古峰である。 古峰は指名も少なく、布団を別にして東郷と同じ部屋で眠っていた。 「わっ―っっ」 東郷が大声を上げると古峰が肩をすくめる。 「ど どうされました?」 「なんで俺は…… 酔って眠ってしまったのか……」 東郷が身体を起こすと 「お お手伝いします」 古峰は背中を押して、ゆっくり起こしていく。 「すまない……」 「い いえ…… これくらい」 古峰は恥ずかしそうにしている。 「それで、梅乃ちゃんは……?」 東郷がキョロキョロと部屋を見渡す。 「お お姉ちゃんは往診でございます。 ま まだ病人が心配なんでしょう……」 古峰が茶を淹れ、東郷に渡すと 「梅乃ちゃんこそ、大丈夫なのか? コロリが完全に治った訳じゃないだろうに……」 東郷は心配になり、着替えを探すと 「あ あの…… 洗濯をしていまして、外に干していますが……」 古峰が外を指さす。 「すまない…… それで乾いているかい? 梅乃ちゃんが心配なんだが……」 古峰は片山
第 百二十九話 ラムネ小松屋で感染した妓女たちが徐々に回復していく。 十二名が感染し、二名が亡くなるという結果にはなってしまったが「よかった……」 梅乃が安心していると「うげーっ―」 梅乃の嘔吐がはじまった。「梅乃ちゃん!」 小松崎の大声が響く。 (まさか?) 二階で声を聞いた葉蝉が階段から降りてくると、便所の前でグッタリしている梅乃がいた。「梅乃ちゃん――」 葉蝉が駆け寄ると 「ダメです!」 梅乃は朦朧とした状態で手を広げる。「梅乃ちゃん……」「感染《うつ》りますから……」 梅乃は手を前に出して葉蝉が来ないようにする。小松崎が三原屋に駆け込み「すみません…… 小松屋ですが――」 ドンドンと戸を叩く。「どうされました?」 対応するのは片山である。小松崎が梅乃が感染したことを話すと「なんてこと……」 部屋にいた采にまで話が聞こえてしまった。 小松崎が采の部屋に行き、頭を下げる。 「采さん、すまない…… 梅乃ちゃんが……」 「仕方ないよ。 これも梅乃が自ら医者になった結果だ。 ただ、親としては死なせたくないのが本音だ…… 感染したら外に出ていく訳にもいかないだろうから、少しの間は面倒見てくれないかい?」
第 百二十八話 意地という炎 小夜は翌日の昼近くに三原屋に戻ってきた。 「すみません……私、吉原から出たことがなくて、深川と言われても怖いというか……」 「そんなことないよ…… 大丈夫だから」 「でも、すみません……」 小夜はしきりに謝って花菱楼を出て来たという。 三原屋でも噂になり、表向きは小夜が潜入捜査をしたことになっている。 「小夜、よく花菱楼の悪事を暴いたね。 よくやったよ~」 妓女が小夜の頭を撫でると「へっ?」 小夜の目は点になってしまった。「小夜…… ちょっとおいで」 采が呼ぶと、肩を落として部屋に入っていく。「お婆、すみませんでした……」 「……」 采は黙って小夜を見つめる。「失礼しんす……」 梅乃と勝来が采の部屋に入ってくると「……」 小夜は、より一層、緊張感が高まっていのを感じる。「小夜、私から話していいかな……?」 梅乃が小夜を見ると「うん…… 話して」「前にも言ったけど、私が邪魔なら言ってね」「それで、どうするのよ?」 小夜が顔をあげると
第 百二十七話 暗闇の暗号「わかりました。 では、引手茶屋にご案内しましょう……」 梅乃が手を叩くと小夜が近づいてくる。「はい……」 小夜が頭を下げる。 この世界は遣り手の席の者が高い立場にあって、呼ばれた者は頭を下げて指示を待つことになっている。「……」 梅乃は黙って小夜を見る。 数秒が経った後「一花いるー?」 梅乃が声を上げると、一花が走ってくる。「……梅乃?」 小夜は、またもや呆然としてしまう。千に突き飛ばされ、古峰にも突き飛ばされる。 最後には梅乃にまでスルーされてしまったのだ。何も知らない小夜の目に涙が滲む。(何よ…… 私は加わってはいけないの? もしかして私が犯人扱いされているの?)小夜が悔しそうな顔をして外に飛び出していく。 客は小夜を気にしてか、何度も外を見ていた。「一花、お客様を千堂屋まで案内してくれる?」「わかりました」 客は八千代と一花を連れて引手茶屋に向かった。客が戻ってくると 「お二階へどうぞ。 酒宴で宜しいでしょうか?」 梅乃が訊くと 「そうね…… そんなに高い物じゃなくていいわ」 これに八千代が答えていく。(馴染みか…… 私が遣り手の席に多く座っていた頃は来ていない…… 最近の客か……) 梅乃は静かに帳簿を開いていく。
第 百二十六話 情報戦「これは幕府公認だった吉原に対する宣戦布告のようなものだ!」 ある妓楼主が大声を出す。この会議には大見世と中見世、小見世からも香梅楼の洋蘭が参加していた。「おそらく深川の遊郭なんだろう…… 東京府で大きな花街は二つだからな」 明治十一年 一月。 西南戦争が終結して半年が経つ頃である。政府は自由な商売を推進。 吉原だけが特別だった風潮を一新するようにしていた。その中で、深川の花街が頭角を現していく。 また、幕府に禁止されていた銭湯の二階などで行為をする『湯女』なども復活してしまった。湯女は女郎とは違い、銭湯の番台に座る看板娘が夜になると客を二階に誘う。三味線や小唄を唄い、娯楽的に集まる男性を客にしている。 場代が掛からない為、安価で楽しめることが庶民から支持を得ていた。「このままじゃ、代々続いてきた吉原という看板に泥を塗ってしまう。 何か良い案はないものか……」大見世や中見世は江戸時代から続く見世であり、内装こそ洋風に変わったりもしたが風習などは江戸時代から続く見世ばかりだ。 短期間で成長した小松屋くらいが知らないだけである。「すみません…… 小松屋《うち》は新参者ですが、この吉原という町が日本一だと思っております。 同じように吉原を守るのが務めだと思っております……」小松屋の主《あるじ》 小松崎が力強い言葉を掛ける。そんな中、黙ったまま話を聞いて
第十話 月下の涙 昼見世の時間、菖蒲は張りから外を眺めていた。 そして、誰かが通れば笑顔を振りまくが苦戦をしている。 「はぁ……」 菖蒲はため息をついていた。 「菖蒲姐さん……」 張り部屋の外から梅乃が声を掛ける。 「なんだい? 今は昼見世の時間。 何の用だい?」 「はい。 コレを持ってきました」 梅乃は、張り部屋の戸を少し開けて紙を中に差し出す。 「んっ? 何これ……ぷっ」 菖蒲が紙を見て吹き出した。 その紙は、梅乃が書いた菖蒲の似顔絵であった。 「なんだい? もう少し、上手に描きなさいな……」 菖蒲は笑っていた。 「へへへ……姐さんの笑顔が見たくて描きました」 梅
第九話 母の声五月、桜の花が全て葉に変わった頃、一人の妓女が吉原から出ていく。長年、三原屋のトップに君臨していた玉芳が身請けされるのだ。「本当に、この時が来るなんてね……」 采が涙ぐみ、話す。「今まで、本当にありがとう……母様《ははさま》」 そう言って、玉芳が采に抱き着いた。三原屋は、とてもファミリー感覚な妓楼である。「父様《ととさま》も、本当にお世話になりました」 ここでも玉芳が文衛門に抱き着いた。一階の大部屋では、祝賀ムードになっていた。妓楼の見世先には大量の花が届き、幕《まく》まで出していた。「おや、梅乃は?」 玉芳がキョロキョロして梅乃を探していた。「こんな
第八話 覚悟の時「えっ? こんな昼間に共ですか?」 梅乃と小夜が驚く。「そう。 勉強をしましょう」 玉芳は、そう言って出かける準備を始めた。そして向かった先は、仲の町にある瓦版《かわらばん》であった。「ごらんなさい。 ここに沢山の記事があるでしょ! ここから文字や出来事を頭に入れなさい」 梅乃と小夜は、瓦版を覗き込んだ。「これは何て書いてあるんですか?」 小夜が玉芳に聞くと、「これは、法度。 禁じられてる事を言うのよ」 玉芳は丁寧《ていねい》に教えていた。そこに鳳仙が現れた。「おや? 玉芳花魁、今日は昼間からどうしました?」「あぁ、鳳仙か……この娘たちの勉強さ。 妓楼
第七話 禿「会いたかった……」 近江屋の禿は、小夜の手を握っていた。「あ、ありがと……私、小夜。 あなたは?」「私、静(しず)。 よろしくね」 笑顔の二人に、梅乃がヒョコッと顔を出す。「小夜~♪ お友達?」「うん。 静って、近江屋の禿なんだって」 小夜は上機嫌であった。内気な性格で、梅乃しか友達が出来なかった小夜が、自力で友達を作ってきたのだ。「良かった♪ 私、梅乃。 よろしくね♪」こうして三人の禿は仲良くなっていった。時間が空いた時は、よく三人で話しをする仲になっていった。「そういえば、この前の妓女の事なんだけど……」 小夜がお歯黒ドブで亡くなっていた妓女の話を切







